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こんにちわ。

先日、第1報を受けて短くアップした件を詳しく掘り下げようと思う。

まず、背番号3が永久欠番とならなかったことに対し、残念に思った理由。

1.帰省中、9/25にナゴヤドームへ遠征した際、ドームの目の前で繰り広げられていた
署名活動が盛り上がっており、自分も賛同したことで、永久欠番化を期待する気持ちが
自分の中で割合を占めていたこと。

2.「ドラゴンズの背番号3」と考えたとき、‘立浪以前’がすぐに思い出せないほど、
立浪選手のイメージが大きく、受け継がれる選手が想像できなかったこと。

それで、立浪選手以前の「背番号3」を考えてみた。
平野 謙…他に想像できん。

ググってみたら、類友(すいません、「類は友を呼ぶ」の略です)がいて、
立浪選手以前は、次の通り。

立浪<平野 謙<富田 勝<ギャレット<デービス<藤波 行雄<中 利夫<内海 武彦<
国枝 利通<藤本 英雄<石田 政良<倉本 信護<桜井 正三<松浦一義

平野選手以前は藤波選手と中さんしか知らん…
しかも、藤波さんの現役時代は知っていても、3を付けていたことは知らず、
中さんに至っては、「ドラOB」としか知らず…
※出所はコチラ。管理人のコマンチさん、ありがとうございます。

ま、昭和50年生まれだから仕方ないやね。

上記の参考サイトによれば、ドラゴンズの背番号3は、長嶋や清原とは異なり、
俊足巧打タイプの選手が多いそう。
そう言われれば、立浪→森野の流れも順当といえば順当だが、
心のどこかで、素直に割り切れない。

立浪と共に大人になったドラキチの、「少年の日の記憶」と言ったら大袈裟か。
でも、たかが背番号で、そこまで考えさせるのだから、やっぱりプロ野球は面白い。

今シーズンは、ライバル・ジャイアンツの日本一で終わったが、来年も球場に行けば、
「3 TATSUNAMI」のナンバージャージをたくさん目にするだろう。
(ちなみに、のんちんのジャージも3。「3歳だから」と選んでいた)
そんな立浪ファン・ドラキチ、そして、プロ野球ファンの一員として、個々の選手だけでなく、
チーム・リーグ・プロ野球の歴史をリスペクトして応援を続けて行きたいと思う。

最後は大きな話になってしまったが、ドラキチの皆さん、来年も頑張りましょう!
特に関東の皆さん、神宮・横浜・千葉マリンで「背番号3・のんちん」を見たら、
可愛がってやってください(笑)

20091004_choshi_1
20091004_choshi_2

でわ、みなさん、またです。




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